波多野家の家臣

荒木氏は波多野氏の家臣として、織田家重臣明智光秀の丹波侵攻に対して、激しく抵抗した。
波多野氏が滅亡したのちは、明智氏の家臣となった。
氏綱本人はそれを良しとせず、病気を理由に出仕を固辞し、息子が出仕したという。
その後の荒木氏には諸説あるようですが、三春藩秋田氏の養子になり、藩主となったとも。(Wiki情報)

城は山城で主郭まで登山30分ほど。
規模はさほど大きくないものの、堀切や竪堀、廓など遺構は残っている。
地元の方含めて整備が進んでいるようです。


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