織田家重臣、池田恒興

兵庫城は、荒木村重謀反の際、軍功のあった池田恒興に摂津のこの地が与えられ、花隈城などの資材を再利用し、居城として築城をした。
しかし、わずか数年の滞在期間しかなく、その後は陣屋程度の利用であったようで、どこまでも規模のものがあったのかは以前不明のようです。
しかし、近年の調査で天守台跡の石垣や200メートルを超える堀跡なども発見されており、その規模は大きかったようです。

神戸市埋蔵文化財センターで石垣などの展示がありました。(常設ではないようなのでご確認ください)


コメントを残す