鎌倉の権力を北条家と二分した比企家の滅亡と播磨・加古川

大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」は頼朝死後、頼家が将軍となってから内紛争いに明け暮れている。
梶原景時など有力な御家人や阿野全成といった源氏の一族までもが、覇権争いの犠牲者となっていくなか、いよいよ北条家と比企家の一騎打ちとなった。

詳細はドラマやネット記事を見ていただくとして、この「比企能員の変」で比企家と共に討たれた御家人がいる。

河原田次郎、笠原十郎親景、中山為重、糟屋有季らである。

この「糟屋(加須屋)有季」という人物は、相模国大住郡糟屋荘(現伊勢原市一帯)を領した御家人で、平家討伐にも出陣し、戦功を立てて播磨の国印東郡南条郷あたりを領地として拝領していた。有季の孫の有数の時あたりに、加古川に入り、加古川城を築城したのではと伝わります。

播磨の領主たちは、その多くが同様に源平時代以降に領地としたもらった関東武士が入って来たものが多いと伝わっています。そんな歴史的な背景を踏まえて、現地を歩くとまた違った風景が見えるかもしれませんね。


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