宇喜多秀家フェス2015開催事に、岡山城内で甲冑展示がありました
以前記事を書きました宇喜多秀家フェス2015。
この時に岡山城内では、甲冑の展示が行われていました。
この世界では業界トップのご存知、鹿児島の丸武産業さんの甲冑ですね。
私もいろんな甲冑メーカーさんのをネットなどで見ていますが、やはり丸武さんが一番かなと思います。(1番というのは、技術だけじゃなく、全体のデザイン、フォルム感とかサイズ感とかも含めて)
いくつか写真を撮りましたのでご紹介。
毛利輝元:
安芸毛利家当主、五大老、関ケ原では西軍総大将。
毛利元就の孫(父は隆元)。
甲冑は緋色の毛引き威しが美しく、大大名の気品を感じます。兜は突盃形の総覆輪で引き回しが付き、桧垣も施された贅沢品。兜の前立てや胴の胸取など各所に五三の桐紋が散りばめられ西国の雄の威信を感じます。
籠手の篠が鉄や革姓ではなく、生地(フェルト?)のようなのですが、これはあまり見受けませんね。
福島正則:
尾張清洲城主、秀吉子飼いの猛将。三木合戦で初陣、賤ケ岳の戦いで七本槍の一人として名を馳せる。
やはり大水牛の脇立の兜が目を引きます。朝鮮の役で、黒田長政と大喧嘩をし、仲直りに兜を交換したことで有名ですね。
全体は黒を基調とした桶胴で実践的、シンプルで引き締まったイメージがあります。
黒田長政:
豊前中津城主、黒田官兵衛孝高の嫡男。
やっぱり義経の一ノ谷をイメージしているという一ノ谷兜に目が行きますね。重くて首が痛かったんじゃないかと思ってしまいますが、当時はおそらく檜の板や薄い鉄板、もしくは革や和紙を漆で固めた「張り懸け」で作っていて軽かったのだと思います。
細川忠興:
丹後宮津城主、細川藤孝(幽斎)の嫡男。妻は明智光秀の娘玉(ガラシャ)で有名。
忠興の甲冑は「越中具足」と言われ、その後の武家で1つのブームともなった。兜は頭高で眉庇(まびさし:帽子のツバの部分)が深いデザイン。兜鉢の鉄板の貼りかたも頭形とは少し違っています。天辺のオナガドリの羽根がまた美的センス、全体のバランス感の良さを伺わせますね。
井伊直政:
近江彦根城主、徳川四天王。
井伊家の甲冑は「赤備え」と言われ、彦根城の資料館にある甲冑も歴代が赤色でこの大きな天衝の脇立てを備えている。
しかし、井伊直政の甲冑と伝わるものは脇立てが無い(取り付ける角元もない)甲冑がある。
本多忠勝:
上総大多喜城主、徳川四天王。戦で1度も傷を負わなかったという猛将。蜻蛉が留まったとたんに真っ二つになったという名槍「蜻蛉切り」が有名。
こちらも鹿角のゴツゴツの脇立てに目が行きます。その割に小さめの兜鉢と大き目の𩊱(しころ)がバランスをとってますね。鹿の角は和紙などでの張り懸けで軽く作っていたと思います。個人的には大袖と大きな数珠は疑問なのですが、特徴的なデザインですね。
島津義弘:
鎌倉から続く名門島津家17代目当主、猛将「鬼島津」。
この甲冑の兜は総覆輪の六十二間筋兜で桧垣もある非常に高価なもの。胴は複数の色の威し糸を使った色々威しで鮮やかであり、大袖もついてやや古い時代から受け継いできた甲冑感が漂います。
石田三成:
近江佐和山城主、五奉行、治部少輔。
三成と言えばどのドラマでもこの天衝脇立ての兜が出てきますね。大きな角と長い乱髪がインパクトの強い兜です。胴やその他の具足は特に大きな特徴は無い黒糸の毛引き威しで、そのあたりが三成の質素さを現しているでしょうか。