山陽電鉄高砂駅から南へ徒歩10分ほど。
十輪寺という、このあたりではひときわ大きなお寺があります。    

高砂の浦を治めた由緒ある梶原氏

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ここには、高砂城(現、高砂神社)の城主であった梶原景秀の墓碑があります。
梶原氏は古くから水軍を率いて港町高砂を治めてきました。  

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ちなみに、梶原氏の家紋は「丸の内に石畳」とよばれるものと「丸に並び矢」と2つあります。(他にもあるかもしれませんが)
高砂の生石神社の鳥居前にはこの丸に並び矢が刻まれた大きな石があります。
「矢」というのは武士が使った武器という意味もありますが、破魔矢という神職の意味もあるそうです。戦国時代にはここの住職は加古川の神吉頼定の弟だったと伝わります。
さて、梶原氏と生石神社の関係は?

北條早雲に敗れた三浦氏が亡命

もう1つ、重要な墓碑があります。 三浦一族の墓碑です。 三浦一族は三浦半島を治めていた豪族ですが、北条早雲に敗れ、高砂の地に亡命したと伝わります。
梶原氏はもともとは関東武者。三浦半島の三浦氏とはつながりがあったようです。
高砂と三浦半島が結びつきますね。    

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