播磨の国、淡河

「淡河」の町は、現在の住所は神戸市北区淡河。しかし、もともとは播磨の国美嚢郡でした。
その歴史は古く、縄文時代から始まると言われます。鎌倉時代に執権北条家の一族であった北条朝盛が淡河庄を地頭職として領したことから「淡河」と名乗り、戦国時代まで淡河氏が淡河城を居城にしていました。

戦国時代、淡河弾正忠定範は、三木城の別所就治(別所長治の父)の娘を娶り、別所氏と縁戚関係となります。織田家の羽柴秀吉が播磨へ攻めてきた時には、東播八郡の太守であった別所長治(甥にあたる)に従って、秀吉軍と戦いました。秀吉の弟秀長が攻め寄せた時、雌馬を集めて、興奮させて走らせる奇策で一時は撃退しますが、衆寡敵せず、退却した三木城の周辺であった合戦で追い詰められ、自害したとも伝わります。

淡河陣屋

秀吉が天下を獲ってからは、淡河は宿場町として発展しました。大名や商人たちの往来で活気のある町となり、その中心地として陣屋がおかれました。

この陣屋は長らく使われずにいましたが、2011年に「淡河の明日を考える会(淡河ワッショイ)」様が結成され、陣屋の復元・利活用がスタートしました。いまでは、カフェ・ランチや雑貨ショップなどが入り、レンタルスペースとして利用されるなど、地域の方々の憩いの場として活躍しています。近年は、映画「るろうに剣心」のロケ地として使われたこともあり、注目を集めている播磨のスポットです。

今回は、ご依頼を受けて淡河陣屋様の一室をレンタルし、甲冑や衣装での撮影を行わせていただきました。趣のある母屋とお庭、茶室など和を代表する風景と甲冑や衣装がしっくりくる撮影となりました。

撮影に利用した甲冑は、今回初おろしの「別所長治公」をイメージした甲冑。筋兜に絵革を施し、色々威しで家格の高さと誇りを表現した甲冑です。卯の花色の陣羽織を着るとより一層高貴な武将に見えます。
着物衣装は金襴の鎧直垂(よろいひたたれ)。本来は甲冑の下に着ていた男性用の着物ですが、今回は女性に着ていただきました。モデルが素晴らしかったこともあり、女性でも意外と似合うことが新発見です。烏帽子を被ったり、甲冑に鉢巻、薙刀でも持てば、立派は女武者にもなれるかなと思いました。
そして、実はその存在が貴重な足軽。赤備えの足軽甲冑を着用してもらいました。甲冑武者が目立ちますが、足軽が複数名周りにいるだけで「軍団感」が増し、印象が大きく変わります。
今回は、プロカメラマンでの撮影ではなく、自撮り撮影でしたが、写真いくつかと動画をご覧ください。

甲冑や衣装を活用した宣材写真・動画撮影&編集はお気軽にお問い合わせください。企画段階から一緒に創らせていただきます。


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